養生元とは

養生元の名前の由来

養生元とは

現在私たちが寿命を延ばし、健康に過ごしているのは医学の発達が一つの理由といえます。しかし、それは現在進歩した科学技術を基盤とした西洋医学が発展したという一面的なものかもしれません。では、それ以前の人々は病気や怪我、健康維持に対してどのように対処していたのでしょうか。その答えの一つは東洋医学です。

東洋医学とは人間に備わっている自然治癒力を高め、不調や病気を治す伝統医学です。人生100年時代ともいわれる昨今、東洋医学は再度注目を集めています。

古来、中国では薬用とする植物、動物、鉱物などを研究する学問として本草学が発展しました。やがてその文化は日本にも伝えられ、日本独自の本草学として派生していきます。

貝原益軒

有名な人物で言えば貝原益軒です。今より約400年前の1630年現在の福岡県に生まれ、医者や学者として活躍します。書物だけに捉われず、自ら足を運び、自らの五感で感じ、自らの力で考えることの重要性を説く姿勢を持つ人物でした。当時には珍しく留学をするなどしてその知見を広めました。その後は福岡藩内での朱子学の講義や佐賀藩との境界問題解決など幅広くその手腕を振るい、70歳で役を退いた後は著述業に専念し代表作ともいえる「養生訓」を上梓するなど人々の生活規範に大きく貢献しました。

幕末に来日したドイツ医師シーボルトが博物学を学び実証的な哲学を唱えたアリストテレスに因んで、益軒を「日本のアリストテレス」と評しました。 自らが著した「大和本草」は中国から伝わる本草学に実用的観点から記述を加え、薬用植物以外にも農産物や雑草に及ぶまで自ら観察、検証した学問書です。明治に入り西洋から教書が輸入されるまでは日本史上最高の農学書と称えられ、当時の日本独自の生物学や農学を知る上では第一級の資料とされています。

さらに貝原益軒によって健康で長生きするための要素が書かれた書物が「養生訓」です。江戸時代の人々の平均寿命は40歳を下回っていましたが、その時代に益軒は85歳まで生きました。最後まで認知症や寝たきりになることなく生涯を全うした、まさに健康長寿を体現した人物です。

その特徴は病気を治す科学的・技術的な療法の説明ではなく、自分の身体を健康に保つのは自分の倫理的な責任であるということです。つまり自然への感謝、親への感謝、道徳心、自制心、これらの心の安定の上に身体の健康は成り立つというものです。もちろん具体的な生活習慣や医術の重要性も説いており、身体が健康になれば心も健康になるという好循環にも繋がります。

現代社会においても東洋医学、貝原益軒の世界観は健康長寿に必要な要素だといえます。

養生元とは

日本山人参ブレンド茶

江戸時代から「神の草」と称された日本山人参。自生のものは絶滅危惧種に指定されており、さらに栽培管理の難しさから非常に貴重な薬草となっています。

今回は、その貴重な日本山人参にそれぞれ健康的な成分や効能を宿した薬草ともいえる植物を5種ブレンドしました。健康に着目した薬草ブレンドは他に類を見ない効果が期待できます。

①日本山人参
②明日葉
③杜仲茶
④桑茶
⑤べにふうき

5種の健康薬草について